ただでさえ暗い屋敷に、部屋の火が燭代に灯るだけとなれば、なおさらに暗い。
隙間風が吹き込み、火が揺れる。紅い杯の酒がきらりと光り、桂はなぜか不安になる。
座った時点から、右の銀時は心ここに在らずと言わんばかりに上の空であった。
時々思い出したように砂糖菓子を口に放る。
これからどうすると聞いても銀時はわかんねぇよと答えるだけだった。
それも潔いほどに明瞭に。それが高杉には理解できない。
だからこうして杯を交わす。はたしてこれで交わすと云えるのか?
深くは尋ねない。高杉は構いすぎると逆に拗ね易い。
「今夜も冷えるな」
壁に立て掛けてある三味線を、高杉は寝転がるようにして手に取る。
これを持つ時、高杉は必ず煙管を置く。
人前では滅多に無いが、機嫌がいいと端唄や都都逸を、適当にやる。
それが中々似合う。
しかしそれをどこで覚えたのかを語ったことはなかった。
気の向くままに三弦を遊ぶ。
撥は象牙や木よりも鼈甲を好んだ。あの肌に触れるひんやりとしたのが心地いいのだそうだ。
上達したか、と桂が問う。
「坂本と同じ事聞くんだな」
少し笑う。桂は予想外の切返しに身体を強張らせる。
「左眼がこれじゃァな」
左手で木を撫ぜる。なるほど、死角で棹が見えない。
それは難儀だな。
言ってすぐ銚子に手を伸ばす。
「勘所っつーんだよ、勘で押さえる」
きっと巧くなる、銀時が初めて口を開いた。
音楽ほど、沈黙の間を繋ぐのに格好なものはない。
曲なのか否か判断に苦しむ音でも、不快でないなら耳に入れていられる。
高杉は銀時をできるなら留めさせたいのだ。しかし気持ちを素直に言葉にできる性質ではない。
銀時も銀時で、今更意見を変えるなら、あのとき言っていない。そういう男だ。
そもそもは坂本が何も言わずに宙へ行ってしまったのが悪い。
銀時はそれを知っている、だからこの場をすっぽかさずに足を運んでくる。
妙なところで律儀なのだ。
音が徐々に調子を作り始める。死角だなど嘘だ。最初から棹など見てはいない。
桂は暫し、器用な左手の動きに目を奪われる。
「坂本が、」
突如銀時が声を発す。
桂は、銀時 と名を呼んで制す。言ったあとで、下手に口は出さぬ方が良い、その自制心が目線を一度畳に落とさせる。
一度目を閉じ、のちゆっくり眼球を動かし、高杉を窺う。表情に変わりはない。
「わしは楽器ちゅうもんはわからんが
おんしゃの音はァ淋しゅう響くの、だと」
「そうか」
漏れてきた声は、穏やかだった。
嘲笑は無い。
怒声も無い。
音を紡ぐ両手も止めなかった。
ただ速度が緩くなる。一音、一音を噛み締めるように鳴らす。
名指してしまった以上、何か話をすべきだと桂は思う。
否、会話をただそこから逸らせたいだけかもしれない。
「銀時、お前も一つくらい唄を知らんのか」
「あー……祇園精舎の鐘の声?」
そんなんあったよ、なぁ、と気だるげに砂糖菓子を一つつまむ。
「馬鹿、それは平家琵琶だ」
桂も酒を一口にあおる。この男、何を考えているのか益々分からない。
ああそりゃァ四弦だ、
高杉がさも可笑しいという風に、笑う。
延べろ三弦 叩けよ鼈甲 響け猫皮 犬の皮