或る一人の隊士の話である。
少し前に募集をかけた際に採用された為、まだ隊士としての歳月は浅い。
剣の腕は正に並。しかし勉強熱心で、人当たりは良い。
只の歳若い、只の隊士であった。
「一週間前の夜から、何かおかしいとは思ってたんだ」
「…と云うと?」
「夜中寝つきが悪くて起きたんだ、そしたらアイツが大部屋の隅に居て」
「えぇ」
「膝抱え込んで座り込んでたんだ」
「眠っていた?」
「それはわからねぇ。ただ、えらい縮こまって怯えているような具合だった。
俺も寝ぼけてたし、あんまり当てンなんねぇ話だが」
「後は何かありましたか」
「そういえば俺、夜番の時に妙な音を聞いたぜ。アレは…先週の木曜だ」
「それはどんな」
「獣みてぇなカン高い音やら、なんだか低い唸り声のようなのやら。
野犬が迷い込んだかと思って探してみたが、結局見当たらなかった。
あん時はまさかと思ったが、建物ン中から聞こえたような気がするんだ」
「それ以外は」
「…後は無いなァ」
「付き合いは悪くねぇが、根が真面目すぎるってか」
「あぁ、他人と距離を起きたがる感じだな」
「一寸お坊ちゃん風だったし」
「悪い奴じゃなかったんだが」
「…まさかアイツがあんな事になるとはな」
「俺も聞いた時は驚いたぜ」
「そうかお前はあの宴会には来てなかったっけか」
「ありゃ来なくて正解だったな」
「突然奇声上げて、四足で駆け出して」
「庭で喉掻っ切っちまうたぁ」
「こん時は山崎も居たろう?」
「えぇ、それは一部始終見て居たんですが、何か前兆が無かったかと思って」
ご協力有難う御座いました、と山崎は頭を下げる。
「…異常行動として報告されたのは以上です」
「ご苦労」
土方は煙を吐き、少し眉根をひそめる。
「解剖の結果だ」
山崎は差し出された一枚の書類を受け取る。
紙上に視線を這わせ、「紫蘭里検出」の項目を確かめると、土方の方へ再び向き直る。
「…予想通りでしたね」
紫蘭里。
それは天人によって持ち込まれた薬物の一種、云わば麻薬の類である。
攘夷志士の末端を運び屋に、裏社会に蔓延っているという噂である。
小奇麗な名前が表すが如く甘美な快楽とは裏腹に、依存性と副作用の大きさは計り知れない。
「入手経路は辿れるか」
「…一寸難しいですね。隠蔽を考慮したルートとなると…出来る限りの事はやってみますけど」
「まさかあんなに早くに幻覚症状が出るとはな」
まだ紫蘭里の情報には未確認な部分が多い。
事例による差も多く、監察泣かせな薬であった。
「お前は見たんだっけか」
「えぇ、それも俺が到着した途端にアレですからね。
おかげで一滴も飲めませんでした」
「疑ってたのか」
「へ?」
「あの隊士の事だ。ヤクの事は判っちゃいたが、スパイだとは聞いてねぇ」
「…お見通しでしたか」
「俺騙そうなんざ十年早ぇんだよ」
頭を小突くと、山崎はいつもの調子でへらりと笑った。
「隠してたわけじゃないんです、近々報告するつもりでした。
でもその前に、もっと薬のことを吐かせたかったんですけどねぇ…」
だって、土方さんに云ったら、直ぐ斬っちゃうでしょ?
そう笑った山崎の眼は、何処からか漏れた明かりを受けてぎらりと光った。
「あれはまるで獣の鳴声のようだった」
「あの時アイツの眼は、何かに酷く怯えていた」
「血走って、釣り上がって居たのを見たぞ」
「狐だ、狐に憑かれたんだ」
「そうだ、狐憑きだ、そうに違い無い」
「なァ、沖田さんもそうは思わねぇか」
「あぁ、そうだなァ」
こんだけ狗が居ちゃあ、気も狂うってもんでさァ
くだらね、と一蹴して、沖田は退屈そうに寝返りを打った。
狐憑