卓上の雑務を片付けていると、お待たせしました、と一つ声がする。
入れ、の声から一呼吸置いた後すっと襖が開く。 日々繰り返している遣り取りだが、山崎が身を部屋に引き入れると同時に 微かに芳醇な香りが鼻腔を掠め、土方は少し気の緩むのを感じる。

二人きりで飲むのは久しぶりだった。
土方にとっても山崎にとっても、酒といえば専ら宴席で、付き合いや接待の意味合いを持つものが多い。 かといって局内の無礼講では酒に飲まれすぎる。 大きな案件の落ち着いた頃を見計らって来る「お酒を戴いたんです、いかがですか」との山崎の誘いを 土方は断ったことがない。

山崎の男にしては細めの左手の指が徳利の首をつまみ上げ、手ぬぐいがその陶磁にそっと当てられる。
「結構いいお酒なんですよ」
「じゃあ冷やで飲んでみてぇもんだな」
「いやですよこの真冬に!それに、燗あがりですんで」
これっくらいの熱さが丁度善い、と言って土方の猪口へ注ぐ。

二人きりで飲む時は、良い酒を少量、ゆっくりと飲むのが決りになっていた。
肴には拘らない。乾物さえあれば充分だった。 土方はあまり酒に強くない。一方山崎はザルだ。 だが大酒飲みではない山崎は、勧められなければ大量に空けることもなく、 身体が温まるだけを欲し美味そうに飲む。 土方はそれを見ているのが心地よいような、もどかしいような、 しかし悪い気分はしないので視界の端で偶に捉えて満足する。

「結構屯所で酒を隠しておくのって大変なんですよ、すぐ見つけられてたかられる」
「ほーお前そんなに貰いもんする程、いいご身分なのかこの犬が」
「いてっ!そんなに無いです、まー時期にもよりますけどね …大丈夫ですよ隠し通せた分はほとんど土方さんと空けてますから。
たまに局長にもおすそ分けしますけど、あの人なんせあの酒癖だから…」
土方は黙って猪口に口を付ける。
山崎の言う「時期」というのが、長期の潜入調査を指し、「貰い物」が貢物と同義であることを直接言及したことはない。 だが山崎は酒を必ず土方のところへ持ってくるし、杯を交わしたあとは必ず土方は山崎を抱いた。 それは一種の不文律だった。

山崎のお酌の手つきは慣れたもので、そこいらの女中より気が利く。 職業柄ですよ、とわざわざ人好きのする笑顔を作られて答えられた日には、監察という奴は想像以上にくえない人種なのだと改めて思う。
「土方さん明日は午後見廻りでしたっけ」
「あ?それがどうした」
「昼間沖田さんが、車に小細工仕掛けてたので気をつけて下さいね」
「…てめぇなんで止めねぇんだよ」
「やーあんな楽しそうなの止めたら申し訳なくって」
「…」
会話は取り留めなく、仕事も私事も区別ない。 他愛無い世間話に、時々するめを齧り酒を嗜めば、やがて身体はじんわりと温かくなってくるのだった。

温もりがやがて熱に摩り替わる頃、土方は最後の一口を煽り、小さく音を立てて猪口を机へ置く。 す、と山崎の視線がこちらへ向く。 目が潤んでいるのは酒のせいか、それとも―
触れた山崎の頬は冷たかったが、それは己の掌が熱いのだということに土方は 酔いの回った頭でも気づくことができた。 ぐ、と体重をかけて小さめの身体を組み敷いていくが、山崎は気丈にも視線を逸らさない。 いつもの逃げたがりの癖にいたぶられるのが善い、被虐性欲者らしくもない。 そのまま額を近づけ、口付ける。もう思い出せないくらい久しぶりに、そっと。 ふわりと舞った酒の香は、どちらのものか判らない。
睫毛が少し震えて、腹の下の身体が強張るのを感じ、更に奥へと舌を滑りこませる。 お互いの呼吸が乱れる頃、土方はずいと身を引き、馬乗りの状態へ戻る。 苦しげに浅く呼吸を繰り返す様子を見下ろし、上下する薄い胸の辺りへ手を滑らせる。

土方は殆ど無意識下に、その手を組み敷いた男の首へ持って行っていた。 頸動脈が脈打ち、先の頬とは比べ物にならないほど、熱く火照っていた。
「……っ」
咳とも唸りともつかないぐぐもった声に、土方は自分が山崎の喉元を扼していることに気が付く。 どれぐらいの力が必要なのか、そもそも何の為に?
どちらにせよ土方には検討が付かなかった。遠くの意識で「ああ俺は人斬りだった」とふと思う。

「ひ、じ、か…た、さ…ん、そ、れは、だめで、す」

途切れ途切れに発せられた山崎の声に、土方は手に込める力を緩める。 山崎は逃げなかった。そのままの仰向けでゼイゼイと息をしている。 圧した力はそれ程強くはなかったらしい。 だが土方は己の両掌を開き見て、確かに呼吸を奪う意思があったことを、心の中で反芻する。

「おれは、いぬです、そんなもので、手を汚しちゃ、いけない」
呼吸を整えながら、一つ一つを確かに言葉が紡がれる。
「…おれでは、駄目です」
そう呟くように言うと、身を捩ると左手の甲を口元に当て軽い咳をする。 衿の辺りは肌蹴て、首元は薄ら赤いが、土方に欲情を見出す余裕はなかった。
「俺はとっくにアンタの狗です」
「知ってる」
「…狗をころすには、刀です」
「…」
逸らされたままの山崎の目元から、涙の粒が一つ零れる。続けて細い声が零れる。
「嬉しいんですよ」
嬉しくてンな顔する奴ァ見たことねぇ、と言おうとして、自分も同じような顔をしているだろう事に気付き言葉を呑む。 叶わない幻は望むにも残酷だった。





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