障子越しに参りましたと声を発せば、入れと低い音が帰ってくる。
特別な音ではない。山崎を呼び立て、ただ待っていた時はこう返し、何かをしながら待っていた時は「あぁ」と云う。
だからできるだけそっと開いた障子の先の、書類を広げる後ろ姿を珍しいと思ってしまったのだ。
かといってそれを指摘できるわけでもなく、傍らの湯のみの乗った盆を土方の右に置く。
稽古中には水分を取れとうるさいのに、そういう自分は普段、飲食に対する関心が薄い。
発汗してるのは運動中だけではないと知っているのだろうか。知っていても省みるような人じゃない。
こうして部屋まで通うのは、土方にとって茶汲みの意味合いが強いと山崎は勝手に思っている。
定例会議か休憩の時間に伝えればいいような些細な報告しか基本的にしないし、些細な用しか申し付けられない。
仕事柄ほかの隊より先回りして知る必要のある情報も多いが、そういう重要な話は別口で呼ばれる。
まさかこの人が部下との親睦がどうのこうのと考えるはずもない。ましてやこの自分に、だ。
一種の惰性かなぁと、書類処理のきりがよくなるまでの黒い背中を眺めながら控える。
薄闇に浮き上がる煙。紫煙とはまさにこのことだと思う。
山崎はこの瞬間、控えるという言葉がくすぐったく幸福なものに思えて仕方ない。
背中に縋り付いてみたいかもしれない。怒られるのは火を見るより明らかだ。
それを承知で、いつか、いつの日にかへ淡い期待をしているのかもしれないし、ただのマゾなのかもしれないし、ガキなのかもしれない。
たとえばこれがずっと続いてほしいのと、早く振り返って顔を見せてほしい気持ちの拮抗するじれったさ。
でもやっぱり見てたいだけかもしれない、と山崎は思う。
土方はコトと音をさせて筆を置き、この前の四丁目の件だが、と唐突に話し出す。
山崎の短い返事を確認し、土方の骨っぽい手が積んである書類を探る。
振り返る瞬間はいつもあっけない。ここから先に存在するのは真選組副長と一人の監察方である。
一枚の紙を山崎の方へ渡し、これが大体の見取り図だと言う。
計画の内容は会議で既に承知済みだ。つまりは任せられたのは討ち入り経路を緻密に練れということ。
会議の時言ってくれればすぐ答えられたのに、とは言わなかった。
どうせ許可の下りるまで日がある。そんなのはただの口実だが、口に出さなければ口実も成立しない。
承知しましたと頭を下げ、紙一枚携え再び『控え』の位置に戻る。山崎退にそっと戻る。
湯のみが空くまでの、もうひとつの惰性だった。
山崎は自分をちょっとずるいと思い、ちょっと幸せだと思い、目立たない苦しさに耐える。
ぎしぎしと、こころが軋むような。そんな痛みは、贅沢すぎる言葉を望んでいる。
でもいつもと違うことは切望してもやってこない、今宵のようにふとやってくるもので、また背中に焦がれるのだ。
05:ぎしぎしと、 こころ が軋むような。