いい月夜ですね、と声がした。 薄暗い縁に座っていた沖田は、人が近づいてきたのにそのとき初めて気がついた。 油断していたとはいえ、沖田に対して気配を悟らせない人間などそうそういない。
「ああ山崎かィ」
「お久しぶりです」
そういえば、しばらく姿を見ていない。 潜入捜査で留守にしていたのだろう。 監察とは、仕事上のかかわりは少ない。特に筆頭ともなれば、副長お抱え扱いだ。 今回もどの案件かを沖田はまだ知らない。
「中秋の名月、らしいですね。 満月って結構見分けづらいんで、あーこれがほんとの満月なんだーって思いません?」
「花見はしても月見はしないんだねェ」
たしかに、と山崎が笑う。
こうして山崎と二人でいることが懐かしい。 最後に二人で話したのは、一ヶ月前と言われればそのような気もするし、五年ぶりと言われても違和感は無い。 思うに山崎はこんな男だったろうか。
「月夜に気づいたところで、酒の量が増えるだけですからね。 黙っといたほうが平和です」

月明かりの妙な青白さが、普段の山崎の印象を奪っている。 もしかしたらこれが、監察としての山崎なのかもしれない。 だとすれば自分は人斬りに見えているのだろうか。

「夜兎は、何を思って月を見るんでしょうね」


ヤト、という言葉を聞き、沖田は呼吸を深くする。 自分はもしかして、試されているのではないか? 山崎の髪からする、わずかな煙草の匂いが知らしめているように思う。
「何が言いたいんでィ、山崎」
こういう時は、勘のよさと愚かさを最大限に利用する。 まわりくどいやり方は、通用しないことを子どもの頃からわかっている。
「あのお嬢さんも同じ月を見てるんだろうなーって」
こうしてはぐらかして牽制。 核心に触れることは滅多にしない。しかし徐々に話題をずらしていく。 旦那を探って、何かまずいものでも出て来たのだろうか。 攘夷の残り香が、しないわけではない。 どんどん疑り深くなる。







「俺は、嬉しいんですよ」
「え?」

「お嬢さんと一緒にいる沖田さんを見るのが」
そう思ってる人がいることは、少しは覚えていてください。

山崎が笑う。柔らかい、少し情けない声だ。
自分らは、近づいてはいけない生き物であると思っていた。 この想いは、恋じゃない。恋であるはずがない。恋であってはならない。 言い聞かせてきたのは、怖さと後ろめたさからだった。 それは旦那の過去でも、あいつの本能でもない。ただ自分が、怖くて後ろめたかった。

「そうやって運命が狂うなら本望なんです」
そう思いません?

そう言って笑った山崎は、迷いも無く前を見据えている。 これが監察の目なのか、山崎の目なのかわからない。 もう、区別できないところまできてしまっている、と沖田は思う。
なぁにいってんだィ、と声色で茶化す。 目を閉じてもなお、丸い月の残像が浮かぶ。




もういっそ、全て偽りになってしまったほうが、楽なのに。





08:この想いは、恋じゃない。恋であるはずがない。恋であってはならない。